コロナ禍で思うこと

このところの新型コロナウィルスの流行で日常生活や経済に大変な影響が出ています。

最初はテレビやラジオでの出来事であっても、仕事の関係先で感染者が出た、などと聞くと、いよいよ他人事ではなくなってきたな、と思います。

仕事中や外出先では必ずマスクを着用し、帰宅時の手洗いやうがいなど、今まで以上に気を付けているつもりですが、目に見えないものだけに、不安です。

子供の学校、買い物、行楽、人付き合いなど、当たり前の日常生活が送れない時期があった、という意味で、今年は忘れられない年となりそうです。

一刻も早い収束を願うばかりです。

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畑仕事はどうにか、できています。

そんな、今までにない状況の中、畑仕事については、その影響がほとんどない、ということにあらためて気づき、ありがたい気持ちです。

確かに、たまの休暇に家族で遠出できないのはとても残念ですが、オヤジがこの時期に畑を作り上げる営みに関しては、悪影響はなかったようです。

理由はこんなところにあるのでは、と思います。

① ひとり、あるいは家族でできる

基本的に辺鄙な場所での一人の活動なので、3密にはなりません。

また、家族がいることで手助けが得られ、効率も上がります。

(家族に手伝ってもらい、雨の合い間にジャガイモの定植を行いました。)

② 自宅にあるので、自分のスケジュールで出来る

玄関を出ればすぐに始められるので、わざわざ時間とお金をかけて出かけなくてもすみます。

また、好きな時間に始められ、自分の立てたスケジュールで進めることができます。

(とはいえ、この時期はやることが多いので結構忙しいですが・・・)

③ 家にある資材でほぼ賄える

ほとんどの野菜を種から育てているので、種や培土を買い足すのは必要ですが、今までに買いそろえた資材で作業をすることができます。

堆肥も頂き物がなくなれば、生ごみを利用して自分で作ったものを用います。

(堆肥の自給については、こちらの記事をご覧ください。)

やる気次第で、育苗倍土を作ることもできますし、採種によって種継ぎをし、購入する種は最小限に抑えることができます(こちらは挑戦中です)。

(豆類はほぼ毎年種どりしています。今年はセルトレイ育苗に挑戦しています。)

④ 国内情勢、経済状況の影響を受けにくい(かも知れない)

天変地異が起こらない限り、活動が妨げられることはありません。

もちろん物価が何十倍も上がったりすれば消耗資材の調達に影響はあるでしょう。

ただ仮にそうなった場合に、たとえ野菜の何割かでも自給できていれば、それが食いつなぐ助けになります。

⑤ 自ら生み出せる

日常生活は消費の連続で、私たちは消費の為に汗して働きます。

でも、畑仕事自体は消費活動ではなく、生み出すための生産活動です。

お金を出して買う野菜を、自分たちで生み出すことができます。

(正確には、野菜が育つ環境を整える、というだけですが・・・)

その過程で生み出すノウハウを自分の中に蓄積することができます。

そして生み出した食材は日々の糧になります。

これは、一部分ではありますが、食べ物を人任せにしない、経済に支配されない部分だと思います。

(庭に勝手に生えているフキも利用して、立派なおかずになります。)

あるニュースキャスターの言葉

オヤジが今の暮らしをしようと決意したのには、いろんなきっかけがあったのですが、その中の一つに、ある有名なニュースキャスターの言葉がありました。

20代のころ読んだ月刊誌に、「自分の老後」という特集ページがありました。

そこでは、各界の有名人にアンケートをとり、自分がどんな老後を過ごしたいか、ということを語ってもらっていました。

そこでその人は、「田舎に住んで野菜を作りながら、そこから一報道人としてニュースを発信する構想を持っています。」という趣旨の夢を語っていました。

この月刊誌が発売された当時(1980年代中頃)は、インターネットという用語自体が一般に知られておらず、現在のように世界中の都会と田舎がリアルタイムな通信網でつながり、老若男女だれもがそこからSNSなどで好きなことを発信できるとは夢にも思わなかった時代でした。

そんな時代にそのアンケートを読み、「そんな生き方ができるのか」と新鮮におもったのを覚えています。

その時からオヤジの頭の中に「仕事をしながら田舎に住み、田舎でしかできないことをする」というイメージができたのだ、と思っています。

ここに引っ越して以来、周りから言われることがあります。

「体こわしたら冬の除雪ができないぞ」

「田舎から引き上げるにしても、そんな場所の家売れねえぞ」

「そんなとこ年取っていつまでも住めねえぞ」

もっともな意見なので、謹んで拝聴しています。

経済性を第一に考えたら、オヤジのような人間のやることは理解しがたいと思います。

たしかに実際、オヤジ自身も年老いてきた時にいつまで住めるかな、というのは確かにあります。

ただ、経済的な損得をもとめてここにいるわけではないので、そんな忠告をきいても特に気にはなりません。

むしろ、損得勘定では得られない経験を日々味わえているのが何より楽しくて仕方がありません。

(クルミの大木に今年も雄花がつきました。今年も実ができるかな?)

よりよい明日

私たちは人間社会に生きている以上、経済に支配されています。

それが良いことか悪いことかはともかくとして、今の暮らしをしていると、支配されていることを自覚する自分を発見できます。

そしてそれは、普段何気なく当たり前だと思っているものが実は不変のものではない、ということを気づかせてくれます。

オヤジはここに引っ越してそれらにようやく気付きましたが、例え都会に住んでいても、その「気づき」は可能だと思います。

良いきっかけではないのですが、今回のコロナ禍が、もし意味があるとしたら、その「気づき」のきっかけになるかもしれない、という所ではないかと思います。

みんなそれぞれ形は違っていても、「よりよい明日」「よりよい生活」を望んでいます。

今回のことをきっかけに「よりよい明日」のためにはどうしていったらいいんだろう?とみんなが考えてくれたら、きっとこれからがよりよいものになるのではないでしょうか。

そして自分もこれまで以上に考えていければ、と思います。

(定植を待つ、九条太ネギです。)

(土寄せをしたニンニク、夏に収穫予定です。)