自給自足を目標に畑をやっていくと、種の問題が頭に大きくのしかかってきます。
要するに、作物ができたらそこから種取りをして、その種をまた来年蒔いて、という風に命のリレーを続けていく、ということです。
種採りをすることのメリットは、
①種をそのたびに買わなくてよい
②採種を繰り返す度に土地に合った種になっていく
③採種できるような正しい作物を作って食べていける
こんなところにあります。
種採りをしたいな
オヤジもわかってはいました。
手狭な畑に、家で普段食べるような野菜をほとんど作ろうというのですから、結構な種類になります。
しかも、そのほとんどは似かよった仲間です。
ナス科(ジャガイモ、ナス、ピーマン、ナンバン、トマト、ミニトマト)、アブラナ科(小松菜、水菜、白菜、キャベツ、ブロッコリー)、ウリ科(カボチャ、キュウリ、ズッキーニ、スイカ)、マメ科(すべての豆(例外があるかもしれない、コーヒー豆はマメ科じゃないよ!))などなど・・・。
これらがオヤジんとこの畑には混在して、連作を避けるために、同じ科の野菜は場所をなるべく固めて、同じところで連作しないよう、ローテーションで回しながら栽培しています。
まともに考えると、同じアブラナ科同士だったら、交雑してしまい、種取りして、その種を翌年蒔いたら、なんか変な形の野菜ができちゃったなあ、ということも十分考えられます。
実際に、種どりしたカボチャの種で翌年作ったら・・・。
こんな風にいろんな色と形のカボチャができました。
かと思うと、スーパーで買ったクリームスイカを食べて、その種を翌年育てたら、まったく同じ色の、そこそこおいしいクリームスイカができた、っていうこともありました。
こういうのって、やってみないとわからない部分が多いです。
F1品種と、固定種
F1て何?
実は、現在私たちが手に入れられる「種」のほとんどは、F1(1代交配)品種というものです。
雑種強勢という遺伝の法則を利用して、均一で単一期間の生産が実現できるよう、雑種と交配させて作られた、1代限りの品種なのです。
種苗会社などで大量生産され、世界の主流となっています。
私たちが毎日食べている野菜も間違いなく、ほとんどがF1品種です。
そして、ホームセンターなどで売られている市販の野菜の種も、そのほとんどがF1品種なのです。
ホームセンターで普通に売っている、これらの種も、F1種なんですね。
固定種とは?
F1種に対して、昔からその土地その土地で栽培され、土地になじんだ作物から普通に選りすぐって採種されている品種を、固定種といいます。
おおざっぱに言うと、ごくごく自然な、昔ながらのやり方で作られているものです。在来種、という呼び方もあります。
オヤジも固定種(在来種)に興味がありまして、以前から試してみてはいました。
北海道在来種の、札幌大長ナンバン。種どりはしていませんが、お気に入りのナンバンです。
ナスやピーマンより寒さに強く、多収なのは在来種だからかもしれませんね。
これも種どりしていませんが、玉ねぎの在来種「札幌黄」。
たったこれだけですが、昨年、初めてまともな形にできました。
固定種は、F1に比べ、形も不ぞろいになる傾向があり、株ごとに収穫期間も微妙にちがうらしく、どちらかというと大規模大量生産には向かないものが多いそうですが、味や香りの豊かなおいしいものが多いそうです。
「おいしい」と聞いて、オヤジのアンテナがビビッとこないはずはありません。
やってみようではないか、という思いは前々からありました。
でも、少量多品種というのがネックでして、すべてを種継ぎするのはちょっと難しい、というのがあり、これまでは単発で実験的に種どりをやるくらいでした。
ごぼうは、市販のもので1度採種して、翌年同じものができました。
その時の画像がなかったのですが、こんな感じのとげとげの花なので、ちょっと触るのに勇気がいります。
ゴボウのように自家受粉の作物は比較的やりやすいでしょうし、そうでなくても栽培場所の設定や交雑を防ぐ工夫をすればどんなものでもある程度は、採種できるかもしれません。
そもそもこういうことを昔から人間は繰り返しやってきて、自然の植物の中から試行錯誤を重ねて安定した品種を作り、ノウハウを蓄積したわけです。
偶然であれ、意図した結果であれ、種から生まれたものがまぎれもない「エビデンス」(検証結果、証拠)なのです。
となれば、やってみるのが早いし、やってみなけりゃわからない!ということです。
生き物のことなので、待つ時間が必要ではあるけれど、これって、ある意味「壮大な実験」です。
同じ畑をやるなら、日々「壮大な実験」として取り組みたいものですね。
オヤジが思う「種の、これから」
生産性、流通性、経済性の名のもとに、オヤジが物心ついた頃から久しくF1種が市場の大半を占め、それを私たち人間は当たり前のものと毎日食べています。
それを主導してきたのは、「国民に、健康に良い野菜を安定した品質と価格で安定供給する」という根拠のもとに、「遺伝資源」である種子の開発・流通を担ってきた、国であり、大企業であります。
近年はこれに、農薬の流布、それへの耐性を施した「遺伝子組み換え作物」の日本への流入、また今年4月の種子法廃止という、見過ごせない動きがオヤジ達の国にも起こり始めています。
種子法がなくなることで、種子の開発、所有から流通までを国・自治体から資金力のある大企業にシフトしていく流れが加速していきます。
それは農薬・医療も含めた人類の行方を決めていく流れになると思います。
そしてすでにそれは世界的な大きな流れになっていて、好むと好まざるとにかかわらず、私たちはそれに支配されています。
まさに、映画「バイオハザード」の世界が現実になりかねない世界に、いま私たちは生きています。
当たり前の、種継ぎをしよう
といっても、こんな流れはオヤジひとりじゃどうにでもできるわけじゃなし、こう言っている間にも1日3食私たちはご飯を食べ、生活している、そのことは変えられない事実です。
ただ、何もできないまでも、食と野菜の現実を知り、自分なりに受け止めること、それをするのとしないのでは、大きく違うだろう、と思います。
ただ何気なく食べている毎日の食事、おいしさや健康、安全がだれかに握られている、と思ったからには、何もせずにはいられません。
私たちは民主主義の国に生まれ、自由に生き、物が言える、そんな社会にいると思いきや、その実、深いところで支配されていたわけなのです。
でもそれを知ることこそが、支配から自らを解き放つ第一歩だと思います。
くれぐれも誤解なく。オヤジは政治活動をしろと言ってるのじゃありません。
それよりまず、毎日の生活を見直すことが大事だと言いたいのです。
天然酵母でパンを作ること。
味噌や漬物を自分で作ること。
梅干しを自分で作ること。
消費するだけの対象だった食材や食品を自ら手掛けてみること。
生産から流通、消費に至る一連のプロセスをたどってみること。
一見当たり前に見えて、できていないことの実践から、自由への取り組みは始められる、ってオヤジは思います。
そこでオヤジは宣言します!
現在、コンスタントに種継ぎをしているのは、保存用の豆類(大豆、小豆、とら豆、花豆)くらいですが、今年からは、毎日食べるナス科の作物も、おいしい固定種の種を買って、種取りに挑戦してみようと思います。
そして、少しでも自然な、当たり前の畑作りを目指したいと思います。